お久しぶりです。findmanです。
今日タイでの旧正月祝いとして、水をかけあう祭りが催されると知った。で、ふと思ったのが「そういや日本って旧正月全然祝わなくね?」ってこと。そして、西暦導入前後に何かあったから旧正月を祝わなくなったのではと考えが浮かんだので、今回は西暦を導入したことで日本の正月はどう変わった?について解説していきたいと思う。
正月の始まり
日本の正月は、仏教が伝来する以前から存在しており、年神様(としがみさま)を迎えるための行事として行われてきた。年神様は子孫繁栄や五穀豊穣に関わる神とされ、新年に特別な幸福をもたらす存在らしい。なんと泣くよウグイス平安京の時代から存在している行事なんだ。
その後、7世紀には中国からの影響も受け、正月が定着していく。このころの歌集である万葉集にも正月の宴会に関する歌が収録されているんだ。
西暦導入以前
明治維新以前、日本は旧暦(太陰太陽暦)を使用していた。これは、月の満ち欠けと太陽の運行を基にしたものであり、季節や農作業と密接に関連していたものだ。旧暦の1月1日を正月として祝い、現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に換算すると1月下旬から2月中旬にあたる。
この時期日本各地で行われた伝統行事には、現代でも残っているものが多く、正月におせち料理を食べたり、初詣に行ったりする習慣もその一例だ。もしこれがそのまま残っていたら、節分くらいの時期に正月祝いをしていたかもしれない。じゃあなんで今の俺たちは旧正月を祝わないんだろう?
西暦導入後
1872年、明治政府は国際化と近代化の一環として太陽暦(グレゴリオ暦)を正式に採用した。それに伴い、1873年から1月1日が新暦での正月として定められ、旧暦から新暦へと移行したんだ。この変更により、旧暦に基づいていた正月は約1ヶ月早まり、1月1日が正式な「元日」として国民の祝日となったんだ。日本は世界のスタンダードに合わせて祝祭の日も移動させたというわけだ。
旧正月が残る地域の文化
全国的には新暦に基づいた正月が主流となってるんだけど、旧正月の文化が現在でも残る地域がある。その主な例を挙げると以下の通りだ。
1. 沖縄県
沖縄は日本の中でも旧正月の文化が最も色濃く残っている地域で、沖縄では旧正月を「ソーグヮチ」と呼び、旧正月を迎えるにあたって特有の行事が行われるらしい。
例えば、旧正月の朝に「若水(正月の早朝に汲む水)」を汲んで神聖な水として用いたり、「ウチャヌク」という鏡餅に似たお供え物を火の神「ヒヌカン」に供えたりする。また、正月料理としては豚肉を使用した料理が特徴で、ソーキ汁(豚の骨付き肉の煮込み)やクーブイリチー(昆布と豚肉の炒め煮)、ラフテー(豚の三枚肉の角煮)などが振る舞われる。
(すげーおなか減ってくる。たべてみたい、、、)
沖縄ではこのような旧正月だけでなく、年中行事や地域の祭りも旧暦に沿って行われることが多く、旧暦が生活の一部として現在も機能している。
2. 南西諸島
沖縄県以外の南西諸島でも旧正月の風習が残っている地域がある。特に漁業が盛んな地域では、大漁を祈願する意味合いも込めて旧正月の行事が行わるようだ。
3. 中華街のある都市
中国からの影響を受けている日本の中華街(横浜中華街、神戸南京町、長崎新地中華街など)では、旧正月の時期に様々なイベントが行われる。中国の春節を祝う獅子舞や提灯の飾りつけが行われ、異国情緒あふれる華やかな雰囲気が楽しめるようだ。行ってみたいね。これらの都市での旧正月の文化が地域住民や観光客に親しまれてる。
最後に
新暦に基づく正月が全国的に定着している現代の日本だが、旧正月を祝う地域では旧暦に基づいた文化や伝統が今も息づいてることがわかった。これらの地域における旧正月の行事は、その土地の歴史や文化的背景を反映したものであり、地域社会において大切に守られてた。
てことで知りたいこと知れたわけだし、普段の日常に戻ろう。じゃ。